決して広いお店ではなく、
人がすれ違えないほどに狭い店内は、
棚には商品がしきつめられ、壁面も隙間が無いほどに
商品がディスプレイされている。
品揃えは随時入れ替わるが、
スタッフがアメリカを中心に買い付けに行くそうで、
それ程高い頻度というわけでもない。
ところが、ついつい前を通る度にフラッと立ち寄ってしまう。
僕の中で、その理由は明確だ。
それは、ディスプレイが頻繁に変わるからである。
ショウウィンドウのディスプレイはもちろん、
店内の並べ方も、常に変化がある。
実際に数えているわけではないけれど、
毎日とまでは言わないまでも、2日に1回くらい変わっている。
少なくとも、そんな印象を受けるほど、頻繁だ。
そんなお店の前を通る度に、
「どうすればそれぞれのアイテムの魅力を
最大限に発揮させてあげることができるのか?」
そして、
「誰かに着たいと思ってもらえるのか?」
そんな風に、商品に語りかけながら、
そして何より、楽しみながら、
創意工夫するスタッフの姿を想像してしまう。
つまり、「商品に対するスタッフの愛情」が
目に見えて伝わってくるのだ。
そして、結果として、
入る度に新鮮な楽しい時間を過ごさせてもらえる。
奇をてらったディスプレイも、
派手なコーディネートも、
アイキャッチなうたい文句も無いが、
ついついお店をのぞいてしまうのは、
そういった理由からだ。
エムゾも、そんな風に作品に愛情を注ぎ、
足を運んでくれる人々が、何度来ても、何時来ても
新しい楽しみを見出してもらえるような、
魅力あるお店にしていこう。
オフィスのお引越し祝いにご自分の絵をプレゼントしたそうです。
「壁面に絵があるのはいいなぁ」と大変喜ばれたとのこと。
素敵です。最高の贈り物ではないですか。
まさに、絵を花束やケーキのように!です。
絵画は本当に人と人の心を繋いでいるなぁと思います。
そのオフィスで働いている皆さんはエムゾトライアルショップにも
足を運んで下さったのですが、オフィスに飾られたその絵を見て、
「この絵は何M'zoかな」
そんな会話も繰り広げられたそう。
嬉しい!
ちなみに私の友人も家族で足を運んでくれたのですが、
その夜、旦那さんがお風呂で「エ・ム・ゾ数」と呟いていたのを
私の友人は聞き逃さなかったらしい。
絵画があたりまえのように日常に存在していき、
「エムゾ」という名前も同じくしてどんどん広がっていく。
じわじわとエムゾの輪が広がっているのは
至福の喜びであります。
素晴らしい作品がもっともっと道行く人に広がっていくように
エムゾは努力をたゆまず進んでいきたいと思います。
久々の雨模様。
体調など崩さないように、良い週末をお迎えください。
誰でも知ってる芭蕉の句ですね。
なんて事の無い日常の一こまを切り取ることで
読んだ人の心の状態によって
その景色に投影する様々な感情が生まれる。
作者と読者の共同作業によって世界を創っていく
と言ってもいいかも知れません。
日常にある、どの一こまを切り取るのか。
その感性にこそ、作者の独創性やら人間性やら民族性が
一番色濃く出るのだと思います。
俳句クラブに所属しているという欧米人の句を一つ紹介。
「鎌倉に 鳩がたくさん おりました」
・・・それがどしたいっ!?
つまり俳句、という芸術表現の裏には
日本人が長い時間をかけて培ってきた下地がある訳で、
その表層的な表現方法のみを踏襲してもおかしなことになる。
翻って絵画。
絵を描く、ということ自体は太古からの表現ですが、
絵の具も筆もキャンバスも、西洋から入ってきた道具です。
その道具たちを用いた表現方法を、
日本人としての心に照らして
自分たち独自のモノに昇華させていった
戦前・戦後の画家たちの苦労を思うと、今更ながら心震えます。
何を切り取り、それをどう見せるか。
そこから何を見出して、どう感じるのか。
芸術家と鑑賞者は
本質的には同じことをしているのかも知れません。
「美しい青い風が」
というタイトルのコレクション展で、
キース・へリング、
アンディ・ウォーホル、
ジュリアン・シュナーベル
といった、80's/90'sの
ポップアーティスト達の作品が
ところ狭しと並べられている。
ちなみに、シュナーベルは映画も撮っていて、
彼自身も交流のあった「バスキア」の映画をとった監督。
バスキア、僕の好きなアーティストの一人。
キース、ウォーホルの作品でそつなく楽しむ。
ホワン・ヨンピンという中国人アーティストの
非常に面白いパフォーマンスを収めた映像に目を奪われる。
そして、カールステン・ニコライというアーティストの
「ケルネ」というタイトルの立体作品の前で足が止まる。
いわゆる「コンセプチュアル・アート」。
いったい彼はそこに何を詰め込んだのだろう・・・
「りんごの皮を剥いていって、最後に残る芯のようなもの」
と、彼は注釈している。
何かを感じるまで帰るまいと決め、
床に座り込んでにらめっこすること、1時間。
あーだこーだとかかんに挑むも、
結局彼がそこに見たものを見ることはできず、
時間切れとなりその日は退散。
うれしいことに、1度チケットを買えば
12月まではフリーパスなので、
日をあらためて行くことに。
「感力」は、無意識的に常に発揮できる人もいるが、
多くの人は、発揮する心がけを持たないと
気付かぬうちに衰えていき、
衰えていくことにすら、気付かない。
ただし、逆に言えば、発揮するよう心がけていれば
育むことのできるものでもある。
そう信じるからこそ、
ニコライの作品とコミュニケーションを試みた。
何かを感じようと、にらめっこした。
でも同時に、作品を目の前にしたとき、
「何かを感じようとして感じるものではなく、
感じるときには何かを感じるものであって、
何も感じないのなら、ただそれだけのこと。」
というのも、道理だと思う。
いずれにせよ、難しい禅問答は抜きにして、
にらめっこした1時間、僕の心に波は立った。
それが、アートだと思う。
それで、いいんだと思う。
エムゾの活動を始めてから、前よりもいろんなことに目が行くようになった。
お店に入っても、壁をどのように使っているのかはもちろんのこと、
お客様への接客は、ツールは、レイアウトは、植物は、、、、
洋服屋さんの接客が非常に勉強になる。
いいなと思ったけど、どうしようかなと迷ってるとき。
最後の一押しが欲しいとき。
今日、まさに私はそれでコートをお買い上げしました。
ベージュとカーキの間の色のコートで、
万能選手のようで、実はわりかし難しいかなぁと思いながら、
今持ってる服と何をあわせたらいいか、
鏡の前で悩むこと数十分。
店員さんがいろんなコーディネイトを提案してくれた。
こういう柄を合わせればこういうふうになる、
こういう小物を合わせれば一度で二度おいしい。
こういう靴を合わせるとかわいい。
売りつけるという感じはまったく受けなかった。
これだなぁ、って。
提案。
お客様のニーズにピッタリ寄り沿ってくれる提案。
そうだな、じゃあ買おうって思った。
エムゾでも、気に入っていただいた絵をどこに飾ろうかとか、
どうやって飾ったらいいか、
額の色をインテリアに合わせて替えたいとか、
絵は気に入ったものの、コーディネイトに悩んでいるお客様のニーズに
たくさんの引き出しをもって接することができるようにしていきたい。
昨日新たに一名の作家さんに賛同して頂いたとのこと。
有難うございます。とても励みになります。
道行く人々の日常にもっともっと絵画に親しんでもらえるように、
作家さんと二人三脚で、ぐいぐい前に進んでいきたい。
お目当ての本を見つけた後、
しばしブラブラと店内を散策。
「美術」のコーナーに行くと、
そこには、
「デッサン上達法」
「水彩入門」
といった、いわゆるハウツー本が
ズラッと並んでる。
ひいては、芸大入試対策本まである。
「絵」というものも、
洞窟壁画にはじまる長い歴史の中で
人類が蓄積してきた英知、
すなわち、理論や技術の蓄積がある。
それを左脳で、論理的・体系的に学ぶことが
魅力ある作品を生み出すことの
大切な手段の一つである事に間違いはない。
ただし、創作の主役は右脳であり、
その「理論」を持ち合わせていなくては
魅力ある作品が作れないなどということはない。
創作する側にとっての書籍は
そういう類のものも含めて、
豊富な種類が陳列されている。
しかし、気になったのは、
絵を見る側が手にすることのできる書物について。
いわゆる作品集、美術史、美術論については、
豊富な種類が存在する。
ところが、
「これから絵を楽しんでみたい」という投げかけで
店員さんに案内されたコーナーに並んでいるのは、
「モナリザはどこが素晴らしいのか」
「ゲルニカは何を表現しているのか」
といった類のもの。
つまり、
国立の美術館などで展示されている
いわゆる大作・名作といわれる作品を見るための、知識。
これらの書物は、
すでに特定の作品や作家に
興味を持った人にとっては非常に重宝されるし、
深く理解するための読み物として、
非常に面白い。
しかし、はじめて絵に興味を持った人が
「絵の楽しみ方」のコーナーに行っても、
この手の本しか並んでないから、
「やっぱり知識が無いと絵を見るのはつまらない…」
「知らないのは恥ずかしいから、
絵についてモノを言うのはやめよう…」
と、やはり絵の世界というものに
壁を感じてしまうのではなかろうか。
最近はとかく「アートを気軽に楽しもう!」という
謳い文句が様々な媒体で飛び交っていて、
それ自体はすごく嬉しく思う。
多くの雑誌で
「アートのある日常」というテーマが
取り上げられている。
しかし、それらは雑誌やTVであり、
いわゆる「書籍」のように、
人々がいつでも手に取れる形態ではない。
あくまで一過性のものに過ぎず、
テーマとしてのブームが去れば、
書店に並んだいずれの雑誌からも
跡形も無く一掃されてしまうだろう。
「理屈じゃなく、好きか、嫌いかが最初の1歩」
「自分なりの感性で楽しめば、それでよい」
書籍ではなく、もっとリアルな形あるモノとして、
その本質を人々に伝えて行くことが
エムゾの使命であることを実感した。
印刷物のものと原画と、両方あります。
日常生活の中ではその違いについてそこまで深く意識しないのですが
原画を見る機会を持ったとき、二つのあまりの違いに愕然とするのです。
「本当はこんな筆の動きだったんだ・・・」
そう、それは画面の動き、スピード、手触り。
画家の本心からの色の濃淡、奥行き、躍動感。
難しい事は言いたくありません。
とにかく見れば一目瞭然。
印刷物になると、どうしてもすっ飛んでしまう何かがあるのです。
例えて言うならライブとCDの違い。
CDでは感じる事の出来ない、
歌い手の息遣いや足踏みをする音、呼吸、
弦の擦れる音、空気の震え、演者の目の輝き。
それがライブだと文字通り生で伝わってきますよね。
原画にはそんな 生のパワー が脈々と波打っているのです。
もちろんCDの良さ、印刷物ならではの手軽さを否定するものではありません。
だけど好きになった作家の作品だからこそ、原画を持っていたい。
好きな歌手だったら、その生歌を聴きたくなるのと同じように♪
印刷の絵を前にしてそんな事を思う夜です(泣)
ご理解とお力添えを頂戴している、
とあるギャラリーのオーナーさんに
M'zoトライアルのご報告に伺った。
実際に形にすることによって、
我々が得ることのできた期待以上の感触と成果、
また、それを大きな励みとして
今後も活動を進めていく旨、ご報告。
そして、ギャラリー経営というお立場から、
当然、M'zoのビジネスとしての難しさを
熟知されていらっしゃるオーナーさんに、
18点を販売できたという点をはじめ、
諸々ビジネスとしての側面をご報告。
ひとしきりご報告がすんで、
総論として頂戴したのは、
「大健闘」
というお言葉。
もちろん、多少のご祝儀も含まれているとは言え、
ギャラリー運営サイドの方から
「大健闘」という言葉を頂けるのは、
とてつもなく大きな励みであり、本当に嬉しい。
そして、M'zoの活動について色々お話しする中で
「どうしてそこまでするの?」
と、ふと問いかけられる。
シンプルで、最も本質的な質問。
とっさに出たのは、
「得られるものの大きさは何にも代えがたく、
しんどいですけど、楽しいんです!」
という答え。
そう、これこそが、すべてに先んじる。
楽しいと思える限り、続けていける。
続けたいと願う限り、努力できる。
努力を惜しまぬ限り、前に進める。
前に進み続ける限り、夢に近づける。
by 大里
確かに目立つ色の組み合わせで
道路標識などにも使われていますが、
昆虫の世界でも多く見受けられます。
代表的なのはスズメバチ。
遠目から見てもすぐに分かるその風体は警戒色と呼ばれ、
保護色が周りと溶け込む事で敵の目を欺こうとするのに対して、
目立つ事でその身を守るというものです。
刺すぞー、刺すぞー、近寄るんじゃねー!!
とサインを出している訳です。
不良のリーゼントみたいなもんですね。
なかにはちゃっかり者がいて
自分には針も毒もないのに、
スズメバチの風体だけを真似ることで
身を守ろうとする輩もいます。
甲虫ではトラフカミキリ、
蛾の仲間ではブドウスカシバやコシアカスカシバ、
アブの仲間でも、スズキナガハナアブなどがそれに当たります。
虎の威を借る狐って感じですかね。
不良社会でそれをやっちゃいけません(笑)
オレンジと黒。
この時期になるとよく目にする組み合わせですね。
そう、ハロウィンです!
某牛丼屋さんではありません。
高校の伝統行事の一つに、毎年ハロウィンの日には、
仮装をして授業を受ける、というものがありました。
マリリンモンローがいたり、白雪姫がいたり、悪魔がいたり、
ドナルドマクドナルドがいたり、それはもう大騒ぎ。
女子校ならではの非常に楽しい行事の一つでした。
ハロウィンは、日本のお盆のような慣習で、
秋の収穫に感謝し、悪魔を追い払うためのものといわれています。
ハロウィンのあのオレンジのカボチャ、オレンジと黒の組み合わせが、パッと目に付いて、
毎年なんだかんだとハロウィングッズを買ってしまいます。
(添付写真は我が家の玄関の飾りつけ)
オレンジ&黒は目に付く色の組み合わせということで、
飲食店の看板などにも多く使われているそうです。
オレンジは「体温を上昇させ、食欲があがる色」でもあるそうです。
言われてみれば、飲食店でオレンジの看板って多いですよね。
今も我が母校ではハロウィンの仮装の行事、続いているのかな。
ふと高校時代が懐かしく思い出された夜でした。
音楽の様に当たり前に耳に届き、
使い慣れた器の様に生活に溶け込み、
恋愛映画の様に感動を分かち合える。
絵画だって、もっと気軽に楽しめるものであっていいはずです。
「エムゾ」は
有名・無名にかかわらず
良いモノは良いという信念のもと、絵画を広く気軽に楽しんでもらえるよう皆様と共に歩いていくお店です。
ここでは、エムゾスタッフの活動報告をアップしていきます!